第1回定例会一般質問 2.16 市橋綾子

私は区議会生活者ネットワークの一員としまして、災害対策について、(1)地域防災計画について(2)災害弱者の防災対策について(3)医療救護所について(4)学校防災林について(5)災害対策基金と減税自治体構想について、質問します。

 

1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災から15年が経ちました。横倒れになった高速道路、根こそぎ倒れたオフィス街のビル、黒煙をあげて燃え続けるまち。今も、あの時の映像が目に焼き付いています。直近ではハイチで大地震が起き、おおぜいの方が犠牲になりました。地震国に住む私たちは、これらの過去の地震から多くのことを学び、地域防災に取り組む必要があります。

 

民主党がマニフェストに掲げた「危機管理庁の創設」は、いまだ議論もされず、今回、国の防災関連予算は大幅にカットされました。地域に暮らす私たちは、国の動きを待つのではなく、既存組織を最大限に活用して、10年以内であれば30%、30年以内であれば70%の確率でおきると言われる首都直下型地震に向けて備えをしていかねばなりません。今日は、点検の意味も込め、阪神・淡路大震災10周年を期に始まった地域づくりやコミュニティ活動を行うNPO、NGOを支援する意味の白いリボンバッジをつけて、質問します。

 

最初に「地域防災計画」について4点伺います。

地域防災計画は災害対策基本法第42条の規定に基づいて、区民の生命、身体および財産を災害から保護することを目的に杉並区防災会議が作成する計画です。2005年の修正から5年が経ち、現在、改定に向けて作業が行われています。今回の見直しのポイントは何か、併せて、地域防災計画を作成する防災会議の構成メンバーについて伺います。私は、以下の質問でも触れてまいりますが、実効性ある計画にしていくためには地域を知る人たち、なかでも女性たちの参加が不可欠と考えております。防災会議はどのような人たちで構成され、男女の構成比はどのようになっているのでしょうか、うかがいます。

 

地域防災計画には区、区民、事業者の責務として、自らの命は自らが守る自助、自分たちのまちは自分たちで守る共助、区の役割としての公助が書かれていますが、具体的にどうすればよいのかを説く内容のものではありません。区民や事業者に自助・共助を呼び掛けるのであれば、具体的に伝える必要があると考えます。区は阪神淡路大震災の翌年、1996年7月に「阪神淡路大震災の教訓を踏まえて」という副題をつけ、「新しい杉並区の震災対策」をつくっておられます。「地震が起きたら」というステージ1から始まり、「避難が必要な時は」「けがをしたら」「災害救援所での生活は」など、10段階のステージを設定し、区民が行うこと、区が行うことが、それぞれわかりやすい言葉で書かれた行動指針です。しかし、現在、区が用意しているパンフレットは、区の責務や法律、条例、条例の理念が紙面の半分を占めていて、市民に必要な情報を伝えきれていません。市民向けにわかりやすいガイドブックが必要だと思いますが、作成される予定はおありでしょうか。伺います。

 

次に被災して住まいをなくした人たちの生活の場となる震災救援所について伺います。震災救援所は、被災状況に応じて区内の小中学校66か所に開設されます。実際に運営していく手掛かりとなる「震災救援所運営マニュアル」は震災救援所ごとに作られるものですが、すでにできているところは何か所か。また、すべての救援所でマニュアルの整備ができる時期はいつになるのか、お示しください。

 

災害が起きたときにもっとも配慮が必要なのは障がい者、高齢者、傷病者、乳幼児・子ども、妊婦、旅行者、日本語が十分ではない外国人などです。そこで、これらの災害弱者の防災対策について6点伺います。

この方がたのことを防災行政では「災害時要援護者」といい、これまでも、当区では災害時要援護者対策に取り組んでおられますが、今回の地域防災計画の改定で、どのような見直しがされたのか、まず伺います。

 

杉並区障害者団体連合会でつくられた「区民のみなさまへ 大地震大災害の時 たすけてください」という小冊子があります。当事者でなければわからない、災害時に想定される問題が列挙され、たいへん参考になります。障がいの種類によって、情報の受け取りや周囲の状況の把握、意思の伝達、移動ができない、トイレも困るなど、バリアが多い状況に加え、周囲の無理解というバリアも立ちはだかります。このように震災救援所での生活が困難な障がい者、介護度の高い高齢者などへの対応が必要と考えますが、区はどういった対策をおもちでしょうか、伺います。

 

国立市では、視覚・聴覚を含む身体障がい、精神障がい、知的障がいをお持ちの方がワーキンググループをつくり、「障がい者が暮らしやすいまちづくり」の提言書を市に提出し、市はこれに基づいた避難支援体制を構築していると聞いています。当区では、障がいをお持ちの方が、災害時にどのような不安を持つのか、当事者の声の聞き取りをされておられるでしょうか。当区においても、当事者のニーズをくみ取ったうえで、避難支援の対応策がとられる必要があると考えますがいかがでしょうか。おたずねします。

災害時要援護者のうち、震災救援所での生活が極めて困難な方に対して、区は第二次救援所を開設するとしています。障がい者団体の方にお話を伺いましたら、第二次救援所となる地域区民センターでの開設は、相手の施設の協力を得なければならないわけで、まだまだ不確定なところがあり、不安がある、とおっしゃっていました。当事者の参加で早期の着手を望みます。

 

以前、私は杉並ボランティア・地域福祉推進センター主催の「災害時高齢者生活支援講習」に参加しました。避難所生活に焦点を当てて、環境に順応しにくい高齢者の不安を軽減する目的で行われているものです。災害が高齢者に及ぼす影響やすぐに役立つ移動、清拭、足浴などの技術を学び、高齢者自身だけでなく、家族にとっても、役立つものでした。この講習会はこれまで何回開かれ、何人の参加者があったのでしょうか。実績を伺います。この講習会はあんさんぶる荻窪を会場に開かれていますが、今後、ゆうゆう館など地域の身近なところで行うとよいと考えますが、いかがかでしょうか。伺います。

 

昨年、私ども生活者ネットワークで、災害時の問題を女性の視点から検証しようと学習会を開きました。阪神淡路大震災の経験をもとに、女性の視点に立って問題提起をしているNPO法人「ウィメンズネットワークこうべ」の代表の方を講師に、これまで報道ではほとんど取り上げられてこなかった問題の数々を知ることができました。そのなかで、耳を疑うような報告がされました。それは避難所などで起きる女性に対する性暴力のことです。4000人以上が収容されていた学校の体育館で、通路側に寝ていた子どもや女性たちが、また、自宅のトイレに帰った女性が性被害にあったなど、今でもその心的後遺症に悩む女性は多くいるそうです。地震後に開設した相談所には、このような被害や相談が寄せられていたものの、公的機関や警察は一切そのことを認めようとはしなかったといいます。

2005年に起きたスマトラ沖地震でも同じような性被害にあったスリランカの女性たちが、国連の場で実情を訴えた記事を見て、災害時にはどこででも同じようなことが起こりえる、と確信をもったといいます。その後、「災害と女性」をテーマにフォーラムを開催し、そこでのアピール文のなかで、
・防災や復興の諸事業には責任者として女性を登用する

・避難所での女性、乳幼児を抱える人への配慮や相談窓口を設置する
・その他マイノリティー女性のニーズに応じた支援を行う
など、参加者の声をまとめています。
学習会では、東京の人たちに、自分たちが経験し、そこから見えてきた課題や対策を伝えたいと、「避難所は2,000人が限界、防災計画ではどうなっていますか?トイレは安全で明るいところにありますか?男女別トイレになっていますか?避難所に女性の責任者がいますか?」などの問いかけがありました。

その後の新潟県中越沖地震で、国は初めて女性職員を現地に派遣し、避難所では全く女性への配慮がないことが指摘されて、ようやく女性の視点に立った防災計画の見直しが言われるようになりました。

 

そこで女性特有の問題に関連して2点伺います。震災救援所を円滑に運営していくには、区民、学校、区の連携が必要だとして「震災救援所運営連絡会」が設立され、今年で、5年目になります。震災救援所運営連絡会での女性の参画の実態はどのようになっているのでしょうか。お答えください。

 

震災救援所の設営には、女性固有の問題が配慮される必要があります。生理用品の置き場、トイレの設営の仕方、着替えや授乳などの間仕切りなど女性の視点で震災救援所づくりがされることの重要性が認識されるべきです。そのためには女性の地域防災リーダーの育成が必要で、なかでも若い世代の参加を意識的に働き掛けていくことが必要と思いますがいかがでしょうか。おたずねします。例えば、震災救援所となる学校の保護者等に参加を積極的に呼びかけるなど、工夫されるよう要望します。

 

医療救護所について2点伺います。

当区では、66か所の震災救援所のうち15か所で震災に応じて医師、歯科医師、接骨師、薬剤師といった医療関係者による医療救護所が開設されます。医療救護所に備蓄される医療品はだれがどのようにして決めるのでしょうか。お尋ねします。

また、点検については、日付による入れ替え作業だけではなく、その時々に応じた医薬品の見直しが必要だと考えますがいかがでしょうか。うかがいます。

 

昨年、災害対策特別委員会で立川にある独立行政法人国立病院機構災害医療センターを視察しました。このセンターには、大規模災害現場を経験した医療関係者とあらゆる事例のデータが集められており、私たちの経験や情報を使ってほしい、と担当の方がおっしゃっていました。当区でも災害医療センターの機能を有効に活用すべきと考えますが、いかがでしょうか。伺います。

 

次に学校防災林についてです。

その前に、杉並のみどりの減少の問題に触れなければなりません。杉並の緑被率は前回の調査から約1ポイントアップして、21.84%となったことが昨年報告されました。しかし、現実では、屋敷林や農地は減る一方です。先日、山田区長のやり残したいくつかの仕事の中に緑をふやすことができなかった、というものがありました。私もなんとかして緑を増やすことができないかと、思いつくたびに担当部署に提案するのですが、却下され続けているのが現状です。熱心に公園の花壇や植栽の世話をしている市民団体が、公園敷地生えた実生、種から芽を出したものですが、この実生の苗木を育てようとしても、切るか抜くかと選択を迫られ、移植したいと区に問い合わせれば「植えるところはありません」との返事が返ってくる、と嘆いていました。そのようななか、今年に入って、小学校の校庭に子どもたちと実生の苗木を植えることが叶いました。そこで、学校の敷地に火に強い木を防災林として植えるというのはいかがでしょうか。震災救援所になる小中学校の敷地の周囲にできるところから防災林の視点で植樹をする提案です。

 

そこで、まず、防火樹林帯について1点伺います。区内の防災公園の周囲に防火樹林帯が設けられていますが、この防火樹林帯の効用をどのように認識しておられるのでしょうか。防火樹林帯に期待するものは何かお答えください。

 

震災救援所となる小中学校は燃えないことが第一です。そのためには学校の敷地周囲に樹木を配置し、防火樹林帯を形成することが、万一の場合、延焼を防ぐ一つの方策と考えます。これまで、区内の小中学校に、防災林の機能を持たせた植樹があるでしょうか。伺います。

 

阪神淡路大震災では神戸市長田区のクスノキが地域を延焼から守ったというニュースがありました。この杉並においても和泉2丁目に、江戸の大火から村を守ったといわれる大きなケヤキがあります。また、お隣りの練馬区立大泉中学校では総務省消防庁の「学校防災緑化整備事業」に取り組み、震災救援所となる学校の敷地周囲に木を植え、防火機能の向上を図っています。当区において学校の敷地に学校防災林という位置付けで植樹を進めるべきと考えますが、いかがでしょうか。その際の課題は何か、併せて伺います。

 

最後の項目です。減税自治体構想については予算特別委員会での審議が予定されていますので、ここでは災害対策基金との関係について4点おたずねします。

これまで区は災害対策基金を積み立てきました。この基金の目的と、今回、廃止とされる理由、1964年から積み立ててきた基金の残高はいかほどか、現金、債券、預金など、どのような形で、また、どういう割合で存在しているのかおたずねします。

 

減税自治体構想では、大規模災害の時には積立てた基金を取り崩して復興のために使う、としています。それでは、災害対策基金が廃止になったあと、小規模災害が起きた場合には、どこからの財源を充てるのかお示しください。

 

減税自治体構想では、積立金を運用していくとしています。しかし、万一の大規模災害時には、まず現金が必要となるのではないでしょうか。現金化ができる運用方法を考える必要があると思いますが、どのような運用を考えておられるのでしょうか、お尋ねいたします。

 

以上、災害対策について伺ってきました。昨年5月、セシオン杉並で行われた防災講演会で、神戸市長田区野田北部まちづくり協議会事務局長の河合節ニさんから、「みなさん、まずは自助・共助です。公務員も被災者になるから公助を求めてもだめ。その時、長と名がつく人、つまり組織を引っ張る人は生き延びる責任があります」というメッセージが贈られました。印象に残ったのは、長が逃げ出した地区、亡くなった地区は、今でも立ち直れない部分を抱えているとおっしゃったことです。まずは生き延びるための備えをする。生きていたら隣近所と助け合えばなんとかなる、という講演内容で、私も結局はここに尽きると考えます。このことを日常生活への教訓と捉えるとともに、自治体としての災害対策の充実を願って、私の質問を終わります。

 

 

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